つまらない大人≠落ち着いた人間であること

若い頃、十二分に色んな社会科見学をしておいたのだけど、探究心というものは年相応に対象範囲が変わって自分とともに在り続けるものである。

 

人間なんて楽な方へ流れるものだし、ある程度は自分も楽をさせてくれるインフラが導入されると利用するのだけれど、リペア可能なものや普遍性を持つものを好んで使う人が伴侶であることは本当に良かったと思う部分のひとつ。

 

もうひとつ、抽象的な表現や難解さの境地を好む人はちゃんと居るということが分かったから迷わなくて良いという気持ちになれたこと。

あのね、やっぱり長文を書く場と大作をきちんと書き上げて発表するには「ブログ」というものが必要だってことにきちんと気づけたんだよね。

 

紙媒体が絶滅するとかしないとかの話があるけど、今現在だとデジタル媒体に長文雑記をする場合、バックアップには個人ブログがいちばん安全なのだろう。でも、個人ブログを設立するにもSEO対策を前提にするのは現状気が向かない。のんびりと構築しようと思う。

 

私は結局、長編小説や歌集になる程度の作品を書く機会を逃し続けて今に至るのだと気づくことが出来た。えっ、気づいてなかったのかと言われそうなので、改めて気がついたという方が正しいのか。庵を見つけて落ち着いたというか、鍛錬を重ねてきてやっと自分の中で機が熟しただけなのだけど。

 

あとは――、歌人って果たし状しか書けないから面白いんだよね。ペンは剣よりも強しとはよく言ったものだ。どうせなら文豪を目指した方が良いのかもしれない。死して文豪たる者であるのは勿論良いけど、生きているうちに文豪と呼ばれることを目指した方がいいのかもしれない。